クラシックロックドリルの世界
番外編⑪ 江戸時代の坑夫-2
江戸時代の鉱山技術と近代土木トンネル工事:支保工と化粧木(鉱山坑口は最強のパワースポット)
八百萬 神の催馬楽 おもしろく(やおよろづ かみのさいばら おもしろく)
諷へば開く 天の岩戸よ(うたえばひらく あまのいわとよ)
※四ツ留に四神を社遷し(やしろうつし)する際に唱えられる御神歌
1.坑口(鋪口:シキクチ)は坑夫を守る結界の入り口
古来日本では山には山の神がおわして、山の神を怒らすと災害が起こると信じられていました。
坑夫も樵(木こり)、猟師(マタギ)や炭焼きなどと同じ山で働く山の民ですが、坑夫の山の神への接し方は樵、猟師等と全く違うものでした。
木こりや猟師(マタギ)が山に入る時期は決っており、入山の際は山の神にお供えと祈りを捧げてから入山します。もし、山の神のご機嫌が悪ければ山に入ることを延期しました。
一方、年間を通して山に入る鉱山では山の神の機嫌で仕事が左右されることが無いように入念な山の神対策を行いました。それは上位の神仏の力で山の神が勝手なことをしないように抑えることでした。
そのため、鋪口または釜の口と呼ばれた鉱山の坑口は一定の作法に則り作られました。
日本山海名物図絵会5巻 金山鋪口 平瀬徹斎 寛政9年(1797年)
山機録 金華渓秀山 明和8年(1771年)
坑口の四本柱(四ツ留)には天津神である「天照大御神」・「春日大明神」と国津神である「八幡大明神」・「大山祇命」、その後ろの左右2本の柱は国津神の「稲荷大明神」と大日如来の化身「不動明王」、さらに12番目の柱には薬師如来を祀りました。
四ツ留の上には転シ(コロガシ)と呼ばれる横木を渡し、周囲に先端を三角錐に尖らせた丸太(矢)を打ち込み、天井と壁を支えました。矢のうちの36本は不動明王の眷属である三十六童子とされました。(地の三十六禽(キン)を表すという説明もあります)
四ツ留に坑道方向からの圧力(土圧)がかかると将棋倒しに倒れてしまいます。本来ならば倒れ防止には斜めの支え木(不遣(ヤラズ))で支えるのが良いのですが、神様である四ツ留を別柱で支えることは不敬となるため、矢の上に化粧木を載せ、その上に岩塊、土俵を積み上げて重量で四ツ留を固定する方法が取られました。
化粧木の長さは護法善神の12天を表す12尺=一丈二尺=3.6mが標準とされました。
このように坑口(鋪口)は強大な御神仏とその眷属(けんぞく)たちにより強力な結界が作られ、坑夫たちを守る造りとなっていました。
鉱山書に則り作られた坑口-1(石見銀山 龍源寺間歩)1)
坑口(鋪口)は一見その形から神社の鳥居と関連がある様に思われますが、鳥居と坑口(鋪口)は構造も各部の名称も全くの別物です。
神社の鳥居(神明鳥居)(柱が貫を抜けて笠木まで通っています)
鉱山書に則り作られた坑口-2(足尾銅山 通洞坑口)
柱は転し(コロガシ)までで、化粧木の間には矢が挟まっており、鳥居とまったく違う構造です。
※鳥居造り或いは単に鳥居と呼ばれる、2本柱の上に梁を渡して坑道天井を支える簡単な支柱組もありますが、上からの土圧を支えるためにこのような構造になっているだけで、鳥居とは関係ありません。
鳥居に組まれた支柱(坑道断面図)2)
2.鉱山技術の土木トンネル工事支保工への影響
明治になると日本人の手により各地で鉄道用トンネルが施工されるようになります。
明治期に完成した長さ1500m以上のトンネルの例
| 隧道名
| 長さ |
線名 |
完成年度 |
| 第二松谷トンネル |
1629m |
奥羽本線 |
明治32年 |
| 金山トンネル |
1655m |
常磐線 |
明治42年 |
| 鳥居トンネル |
1673m |
中央本線 |
明治43年 |
| 稲穂トンネル |
1777m |
函館本線 |
明治38年 |
| 芦谷トンネル |
1859m |
山陰本線 |
明治44年 |
| 第二白坂トンネル |
2084m |
篠ノ井線 |
明治35年 |
矢獄トンネル |
2097m |
肥薩線 |
明治44年 |
| 小仏トンネル |
2646m |
中央本線 |
明治34年 |
| 冠着トンネル |
2657m |
篠ノ井線 |
明治33年 |
| 笹子トンネル |
4657m |
中央本線 |
明治36年 |
これら初期のトンネル工事には諸所の鉱山より坑夫が動員されました。
例えば大津線逢坂山トンネル(明治13年:1880年)、北陸線山中トンネル(明治29年:1896年)は生野銀山の坑夫達の力を借りて施工されています。
他にも北陸線柳ケ瀬トンネル(明治16年:1883年)や東海道線清水谷戸トンネル(明治20年:1887年日本最古の現役鉄道トンネル )などの工事に坑夫を募集したことが記録されています。
20)
土木トンネル工事現場に鉱山の技術が活用されていることを坑口の構造に見る事ができます。
トンネル施工では掘削された空間を仕上げ覆工するまでの期間、安全に保持しなくてはなりません。そのために一時的に構築される構造物を支保工と呼びます。トンネル工事の大事故は多くの場合、支保工の倒壊に関連しています。
現在のトンネル工事は頑丈な鋼製の支保工により工事中の坑内天井を安全に支えながら、全断面(大型断面)掘削で施工されていますが、1955年(昭和30年)位まで、我が国ではトンネル支保工といえば、ほとんど板木や丸太による木製支保工が普通でした。
木製支保工では、支えられる土圧が鋼製支保工よりはるかに小さいため、工事は小断面の先導坑に続いて地質や土圧にあわせて少しづつ周囲を切広げるという掘削方式が取られました。
使用される木材は、曲げ強さが強く、徐々に亀裂が入る松、ブナ、杉を使用し、いきなり破断する楢や柏材は危険なため避けられました。
木製支保工の組立は高度な技能が必要とされ、技能者は斧指(よきさし)と呼ばれました。坑夫たちは斧指が腕一本で組み立てた支保工に命を預けました。
トンネル掘削方式の比較(工法を開発された国名で呼ばれていました)3)
新オーストリヤ式掘削の場合の工事進行に伴う支保工組立順序4)
木製支保工によるトンネル工事坑口は、斜めの支え木(不遣:ヤラズ)で補強されている事を除けば、鋪口と同じ様式で建てられています。
化粧木は土留木と呼ばれ、頂設部の化粧木は坑口覆工工事が完了するまで置かれていました。
鉱山の技術を利用して建てられた坑口-15)
不遣(ヤラズ)と一緒に化粧木の上にも土俵を置いてしっかりと坑口を固定しています。
鉱山の技術を利用して建てられた坑口-26)
土留木(化粧木)の上には土俵、岩石等を積み重量を加えて安定を図るのが普通であるとされています。
鉱山の技術を利用して建てられた坑口-3
愛宕隧道(1930年)7)
矢板を押さえるため、化粧木(土留木)の長さは坑口幅いっぱいとなっています。
鉱山の技術を利用して建てられて坑口-4
宮隧道坑口(起工式の様子)8)
化粧木(土留木)の上に土俵を積み頂点には御幣を飾っています。化粧木の長さは坑口幅いっぱいです。参列者は坑口(化粧木)では無く横の祠に向かって祭祀を行っています。
鉱山の技術を利用して建てられた坑口-4 新丹那トンネル(1941年着工)9)
新丹那トンネル側壁導坑式の掘削:左右の壁面を先に施工してから中央部を掘削
坑口固定の化粧木が積まれた土俵の重みで反ってきていることがわかります。
鉱山の技術を利用して建てられた坑口-5 青山隧道(三重県1928年着工)10)
矢板の上に化粧木はありません。転シを支える擔(ニナイ)が2本、正面から見ると目玉のように飛び出しています。
※土俵には四斗俵(容量約72ℓ)が使用されました。これは現在一般に市販されている土嚢袋(容量約20ℓ)の3.5倍の大きさで、濡れた土を詰めると1俵の重量は約100kgとなります。
鉱山の技術を利用して建てられた坑口-5 宇佐美隧道坑口
頂設導坑部分の化粧木が残り、岩塊が上に載せられています。11)
鉱山の技術を利用して建てられた坑口-6 下久野隧道工事坑口
転シ、化粧木を支える擔(ニナイ)が2本、正面から見ると目玉のように見えています。12)
3.化粧木と鋼製支保工
戦前の我が国の年間鉄鋼生産量は約500万トン(米国1億トン)でしたが、1956年:1000万トン、1960年2000万トン、1965年4000万トンと高度成長期に大幅に増えました。
鉄鋼生産量の増加にあわせて、1958年の東京タワー、1964年の東海道新幹線、造船業の躍進と鉄鋼を利用したインフラ整備、産業も大きく伸びました。
トンネル工事では、信頼できる木製支保工を組立できる斧指(よきさし)の減少により、安全な木製支保工の施工が困難になったことから、1960年以降のトンネル工事では鋼製支保工による全断面(大断面)掘削工法が行われるようになります。
鋼製支保工では、不遣・転シなどの木製支保工材は不要ですが、工事中の坑口の見栄えを良くする飾りとして化粧木が飾られるようになります。
初期の鋼製支保工施工坑口に飾られた化粧木-1
新小仏トンネル甲府方坑口(1962年着工)13)
古河製4ブームドリルジャンボ(322Dレッグドリル x4台)で全断面掘削し、H型鋼及び37kg古レールによる鋼製支保工で施工。本来必要無い化粧木を坑口に飾り、さらに土嚢を積み、頂点には御幣を飾るなど、旧来の木製支保工の形式を再現しています。
初期の鋼製支保工施工坑口に飾られた化粧木-2 新幹線関ケ原トンネル坑口(1962年着工)14)
上部半断面先導坑法での施工。坑口の大きさとバランスを取るように大型の化粧木が飾られています。
初期の鋼製支保工施工坑口に飾られた化粧木-3
恵那山トンネル(1967年着工)15)
坑口の大きさにあわせた大型化粧木が飾られています。土嚢などを積まない代わりにすでに反った木を化粧木としています。
戦後に作られた木製鉱山坑口
国力鉱山坑道1957年頃(北海道北見市常呂町)16)
不遣(ヤラズ)を設けないなど鉱山の作法に則り造られていますが矢(丸太)を岩塊で押さえ、飾りとして化粧木を置いています。化粧木は真っすぐです。神の依代(ご神体)は御幣であり、化粧木ではありません。
初期の鋼製支保工坑口に祀られた祠 新清水トンネル 土樽坑口(1964年)19)
りっぱな祠が祀られています。化粧木の有無は判別できません。
4.現在の支保工と化粧木
トンネル工事の坑口に化粧木を飾ることは、現在も行われています。
現在のトンネル工事の化粧木 山陰近畿自動車道 第14トンネル 2015年1月貫通17)
現在の化粧木は矢板の跳ね上がりを防ぐという本来の目的では無く、坑口の飾りとして擔(ニナイ)を模した丸太2本の上に載っています。
長さは大幅に短くなり36寸(3尺6寸)=約110㎝となっています。(なぜ36寸なのか理由は不明ですが、鉱山坑口の矢木36本(不動明王36童子)と関係があるかもしれません)。ご神体として中央に祠が祀られています。化粧木自体にご神威は無いため、多くの場合このように祠や御幣やお札が祀られます。
現在の支保工は全て鋼製支保工となっていますが、大断面用の大型鋼材をトンネル内で組み立てるのは非常に危険な作業となります。
鋼製支保工の建て込みを機械で行うエレクター付きコンクリート吹付機は、坑内作業の安全に貢献しています。18)
引用
1) 石見銀山みらいコンソーシアム https://mirai.iwamiginzan.jp/
2) 隧道工学 佐藤周一郎 アルス 昭和14年
3) 土木工法資料 設計施工及積算 改訂増補版 磯崎伝作編 理工図書 1952年5版
4) トンネル工学(大学講座土木工学:23)粕谷逸男 共立出版 1970
5) 隧道工学 小林紫朗 工業雑誌社 昭和9年
6) 農業土木研究 農業土木学会 1941年6月
7) 土木建築工事画報 1930年9月
8) 土木建築工事画報 1931年4月
9) 新丹那トンネル工事 写真画報(242) 情報局 1942-10
10) 青山隧道編坑口写真工事実例青山隧道編 西畑常 大正商工社 昭和7年
11) 工事画報 昭和14年3月号
12) 土木建築工事画報 5(5)(51) 1929-5 工事画報社
13) 東工 第17巻第3号 東工編集委員会編集 日本国有鉄道東京工事局発行 1966-06
14) 経済時代 27(11) 1962-1
15) 土木施工 構想・計画調査設計・施工・維持補修・管理の総合土木技術誌 11(11) 高速恵那山トンネル 1970-11
16) 針田鉱業国力鉱山坑道安全祈願 昭和32年頃 (常呂町) 北見市立常呂図書館
17) 京都府道路公社 https://www.kyo-doko.jp/kensetsun/20120704094045953.html
18) 古河ロックドリル https://www.furukawarockdrill.co.jp/drill_jumbo
19) 土木施工 オフィス・スペース 1964-09)
20) 日本鉄道請負業史 明治篇土木工業協会 編鉄道建設業協会 1967年
少年工藝文庫第十一編 銅山の巻 石井研堂著 博文館 明治36年
最新鉄道工学講義第二巻 坂岡末太郎 裳華房 大正元年9月
隧道の施工 佐藤周一郎 白亜書房 昭和29年
トンネル (OHM文庫)星野茂樹 石川九五共著 オーム社1959